日々が亜光速だ。
FBのコミュニティで自己紹介を投下しまくってる訳だが、様々なバンドやユニットからセッションの希望をいただいている。
しかし単純な メタルとかパンクロックとかハードコアは一応聴いてからごめんなさい。
直感と得体の知れないワクワク感、自分にとっての目新しさで選びバンドに限らずエンジニアやセッションミュージシャンにも連絡をとる。
来月半ばからJam sessionやら色々始まってくる。
楽しみだあな。といった中で
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遂に明後日から、完全体ではないけれど日本の仲間とチャレンジする機会が徐々に訪れる。
既に長い目で見た準備も少しずつ始めているわけだがこれがまた日本でやってた事と寸分違わないので懐かしいような退屈なような。
とりあえず100枚。1枚$5で完全に路上にフォーカスして手作りしていく。
リサーチする中でふと思った事がある。
渡米してからCDを見た事がない
バンドの物販なんかには申し訳程度に紙ジャケのペラペラのCDを置いたりなんかもする「場合」もあるみたいだが、俺が行ったイベントでは見た事がない。
サンプルとしてピチピチ20代前半のルームメイト達に聞いてみた。(ちなみに皆、音楽関係の仕事をしている)
バンドマンや音楽家がどうしてるのかと言うと、アメリカのインディシーン(90年代からよっぽど有名なら話は別だけど)は、完全にデータとアナログに移行しているようだ。
手売り音源は「USBメモリ」
通販には「BANDCAMP」
他グッズは手を抜かない
って印象だ。日本でも度々話題に上がる物販の話題だが、こちら既に良い悪いを通り越して
CDは絶滅完了している。
USBにはライブのクーポンを画像で仕込んだり、映像作品を入れたり、盛り沢山にしている印象だ。
で、それがすでに浸透している上に大半のリスナーがCDの音質の限界を理解している感じ。
じゃあなんでほとんどの所謂インディバンドが儲かってるって規模ではないにしろ音楽でマネタイズ出来ているのか?
超高速の代謝で新しい強いものが生まれ続けるのか、そこに宝物が隠れているよね。
そのクエスチョンを本質的に捉えて更に生き残れた時、何かがサクセスするはずだ。
同時に100%自分の中から出てくる音楽を見失わない事。正直それが一番難しい気もする。
まさにアメリカ。音楽を音楽として捉える、個の表現なんだと捉える人々が大半を占める世の中は、大変に心地良い。
がしかし、自分は序の口の屁の河童なわけで、地獄のようなプレッシャーと削れど削れど貫通しない言葉の壁も同時に存在する。
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昨日、更にクラスレベルを上げる為のテストを受けた。結果はわからないが感触ではズタボロ。
内容が一気に難しくなってゲンナリする。
つい最近まで、”過去完了形” = ”Past Perfect “って文法用語が脳内でリンクしていない程度のレベルには日本で英語ゼロだった身からすると、飛躍ではあると思いたいが。
音楽があれば言葉はいらない。
一理ある。しっかり伝わる。でもそこまで。
もっともっと深いところに行きたい。となったら?
失敗して酒飲んで「ねこ膳」で朝までベソかいてた時の会話みたいに、
往生際の悪いフラれ方をした時みたいに、
行きたくないのに渋々参加した飲み会で結局楽しんじゃって潰れちゃった時みたいに、
ここでは「英語」で本当のコミュニケーションを取らないと理解は深まらない。特に俺の場合。
アメリカ挑戦!とかではなくて、根を張ろうとしているわけだから。
:辛かったテストの言い訳として殴り書き:
つづく