[新]米国軟着陸・日米直通便編

世界は広く、そして狭い。

軟着陸最終回2/3 米国軟着陸 #67

渡米1年目前にして、学校の終わりと新しい挑戦の始まりが視界に入った。24時間を全て音楽に捧げる(英語の勉強も引き続き・・・)準備を始めている。吐くほどキツイ体験から夢のような体験まで、一瞬ながら濃い一年だった。最早演奏に深みと味が出るなら、なんだってやっちゃうわいね。世界の現場を目指して更にガツガツとやる事をやる。そんな30代にしたい。では軟着陸最終回2/3、2018年末編です。

 

#5タイムリミット

初心忘れるべからず。

と思っていても、夏を過ぎて滞在7ヵ月頃からは景色から新鮮さも薄れて色々な事が普通になってくる。学校に行き、ストリートで演奏し、週末は教会でゴスペル、ミュージシャン達とジャムセッションやライブもたまに。これもいつからか「日常」という雰囲気を帯び始めた。まあ、それ自体は贅沢な事で結構だ。だが現実は学生ビザでの滞在という期限と条件付きの中での挑戦中なのであるから、去年の夏過ぎには現実的な問題として「あと半年でアメリカに居ることが出来なくなる」といった焦燥感が否が応にも顔を出し始めていた。この時点で音楽で生きられる事がわかり、英語もゼロからなんとかコミュニケーションを取るレベルまでは会得した。その慣れと自信がなおさら焦燥感の勢いを増していく。まず自力で次のビザの云々を調べはじめる。調べ始めて愕然としたのが、全くもってナメきっていたと言う事。特にアーティストビザに関して自力で獲得を目指すとなると平均として1年以上、長い人は3年くらいかけて準備をするなんて話だった。更に、USの企業や団体からの推薦、ビザ用弁護士、etc... いやいや、なんもどーしよもねぇよ!と途方に暮れながらもちゃっかり年に一回行われているグリーンカードの抽選には応募しつつ「あーどうしよ、あー」と事実上の行動に移せないもどかしさを感じていた。日常は過ぎ去りつつ、目を見開いて何も考えてない。って状態に陥っていた。正直。

そんなモヤモヤした時期に、キッカケはまるで狙いすましたかのように訪れた。

 

#6 LIONIZE 

ステップ1、まず英語と文化の違いに慣れる。ステップ2、何でもいいから活動を開始する、生活する。一年を待たず動き出せていたのも結果としては順調に見えるわけだが、その内容とストレス、寂しさは想像を超えていた。ほぼ全てが単独行の挑戦だったからだ。そんな時にこのコッテコテにクラシックな、70年代に帰りたそうなロックバンド"LIONIZE"との出会いはそのまま米国軟着陸での最大の転機になった。

結成11年の彼らはとにかくドラマーに恵まれていなかったにもかかわらず、アメリカのロックのルーツを大事にし、DC発祥の"GO-GO"などへの尊敬、美しい歌とドストレートに見えて捻りの効いた右フックみたいな歌詞で米東海岸、イギリス、フランス、ギリシャなどにて一定の支持をあつめている。

そんなバンドのオーディションを受けないか?大事なツアーが決定して、色々洗い直さないといけないみたいなんだよ。とDylanから情報を得たのがキッカケとなる。音源を頭に入れていく段階では正直、たしかにドラマー弱いなあ・・・。なんて思った。

2017年のアルバムを最後に、そのドラマーが脱退し、先日発売されたEPとこれから発売される新作にはCLUTCHのJean Paul Gaster(通称JP)がサポートとしてレコーディングに参加している。

オーデション当日には指定の4曲をビシッと頭に入れつつ、特にexドラマーの主張はフォローせず自分自身を音でプレゼンしていく。

そして翌日には答えは出て「次のツアー楽しみだね!」だと。いや・・・う、うん。(決定が早い) 

しかしそこには問題も。

既にこの時点でMUSHAxKUSHAのUSツアーが決定していた事により、さらにツアーに時間を割くと言うのは俺にとっては学校の出席率なども犠牲にする大きな決断である。(実際ツアー後に75%まで一気に落ち込んだ出席率は少しづつ回復しているものの未だ80%に満ちていない。)

が、音楽をやる。絶対に蹴るわけにいかなかった。

彼らの音楽はシンプルだからこそ任される部分、誤魔化せない部分も多い。それは逆にボーカルNateの素晴らしい歌を後ろからグイグイ持ち上げてやる空白も沢山あるって事だ。そして俺は一緒に歌うようなプレイスタイルが大好きだ。加えてスポーティな音楽が苦手な俺には、特に変わった事は一切せず歌を躍動させる事に一直線な彼らの姿勢がストレス無く馴染み、楽しみ、期待でいっぱいになった。

そうして個人的な状況は色々ギリギリになるリスクを取り、ストリート、教会に続いて3つ目の「仕事」と言える活動にありついたのだった。ツアーに出て、自らの音楽がそのままこの地での生活の燃料になっていく。求めていたことの一つだ。

 

#7 一つの大舞台への侵入

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楽しくコッテリしたリハーサルを繰り返していたらあっと言う間にClutch tour Holiday Run 2018初日、2018年12月27日は訪れた。そして自分が置かれた状況を正直ナメていたと言うか、何にも想像できてなかった事にすぐに気がつく。

日本のバンドの海外ツアーとかの感覚をイメージしていたが、それがそもそも間違いだった。英語もままならない無名の日本人ドラマーがポツリと会場に、しかも演者側の結構重要なポジションにいるなんて誰も思わないわけで、気を遣ってくれるわけもなく、まず飛び交う専門用語の会話についていけない。理解するので精一杯の中、モリモリスタッフ達が働いている。初日会場入りの段階では「なんだこいつ?何者?」的な雰囲気も漂っていた。わかっている。そりゃそうだ。非常に恐縮しながらも、いざ自分が音を出す段では今までに人生で得てきた喜怒哀楽、自分のリズムのルーツを「今日で最後」ってノリで爆発させる。環境も相まって、火事場のなんちゃらみたいなエネルギーすら自覚した。というか冷静に考えて渡米8か月ちょっと、ストリート、教会、小さなライブバーでの演奏経験で「1アメリカ歳」に満たない俺が、いきなり2000人規模の米国のステージに放り込まれてスパークしない方がおかしい。音と視界がしばしばスローモーションになるほどド没入して演奏。走馬灯も見た。初日のステージ中に、はっきり自分の置かれている状況、1から自ら得たひとつの結果を自覚した。

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5日間のツアー、得たものは計り知れない。

こちらでは知らない人はいない伝統的、伝説的なUSロックバンドClutchのドラマーJPは5本全てのステージを袖で観てくれた。ジッと。最後には「君から学んだ事が沢山ある。素晴らしいエナジーとダイナミックなショウだった。ありがとう」と。

なんて紳士でロックなんだ。色々思い出して泣くのは堪えてFuck Yes Thank you とだけ答えてハグをした。ツアー最終日、フリーメイソンの講堂を改造したライブべニューでステージにいきなり乱入してきてジャム!なんて出来事もあった。打ち上げではJPシャッフル(命名俺)を伝授していただき、彼モデルのスティックを数組いただき、今も頻繁にメールで連絡を取っている。またすぐ現場で会うだろう。

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またツアー中盤、FugaziのBrendanが「Lionizeのドラマー、マジのモンスターだ彼は。だろ?そう思うだろ?」とメンバーに話しているのを盗み聞きした。グッと堪えてその場を後にした。高校時代にNirvanaと共に聴いていたあのFugaziのメンバーにそんな事を話される。嬉しかった。最終日には彼から「お前が完全にバンドをコントロールしている。素晴らしいプレイだ。また近いうちに会おう」と感想をいただき多いに励みになった。フロアタム壊しちゃってゴメンねBrendan。

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更に日本ではChris Daveと共に宇多田ヒカルのアルバム制作に参加していたドラマーEarl Harvinに「USで認められるプロドラマーになりたいんだ。USと日本と世界を飛び回って演奏したいんだ。バンドマンではない、1人のドラマーとして」と自分語りをすると不思議そうな顔をして「なんだ?もうなっているじゃないか?」と言う。いや、実際日本に仕事なんてまだほぼ無いから違うんだ。彼は沼澤さんの事を知っていて、ツイッターの下りを説明すると「当然そうだろう、君には個性があるし、何故日本で仕事が無いのか理解出来ないよ。でもアメリカやヨーロッパでは可能性があるはずだよ」などと捲し立ててくる。来てよかった。アメリカ来てよかった。全部信じる。アメリカ来てよかった。泣

ドイツに住んでいてフルセットを持ち込んでいない彼にはツアー中、俺の機材を貸してあげたんだけど、気をつかってスローンの高さを変えずに演奏していたら腰を痛めてしまったみたいだった。好きにセッティング変えて良いよとちゃんと伝えればよかった。ゴメンねEarl。

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そしてMikeDillon。スタントンムーア、Ani Diffranco、そしてプライマスに関わってきた常にハイでクレイジーなオッさんとも日数を重ねるにつれてどんどん打ち解けていった。ツアー最終日は彼のバンド〜LIONIZEという出順だったのだが、出番直前、楽屋でThe messthetics, FUGAZIのJoeと一緒に瞑想していた時にステージから俺を呼んでいたらしい。打楽器チーム全員でセッションがしたかったようだ。セッションは俺以外全員のドラマーで行われた。そんな重大な事に全く気付かず、直後ステージチェンジの時にMikeから「お前どこにいたんだよ!100万回呼んだぞ!」などと言われ米国軟着陸最大の失敗と後悔を産んだオッさん。カウボーイ気質?のMike、「お前すごいダイナミックなドラマーだな!」としか感想はいただけなかった。MC気付かなくてゴメンね、Mike。

 

 

ドラムに座りタイトに演奏した上でヒステリーと呆然無心、らりるれろ!っと歌う俺のスタイルは、通用し始めている。

そんな確認をする事が出来た、ドラム一発で手に入れた夢のような初仕事だった。

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2018年3月4日の日本での区切りの企画でのMCで話した未来予想、想像を超える大きなスタートを、同年末に切る事が出来た。

冷静に今後数年で、どこに手を引っ掛ける事が出来るか。どこまで自分の中の音楽、ドラムを洗練させられるか。いけるとこまで行ってみるつもりだ。

 

という所で最終回最終章は、MUSHAxKUSHA初USツアー、台湾、そして日本凱旋の1週間を経て米国に帰国し得た良いところ悪いところやその他諸々と、ブログ次シリーズに関する事を書き連ねて米国軟着陸を終了します。

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つづく